第23話:ASD夫と子どもの接し方――母として気づいた“やりすぎ”のサイン

アミケ

子どもが生まれてから見えてきた、ASD夫の“育児の温度差”。
それに気づいてから、私がどう向き合い、少しずつ変わっていったかを書きました。

目次

導入:子どもとの関わりで感じた違和感

子どもが生まれる前は、お互い好きなことをして過ごしていました。ところが、育児が始まると「協力しないと成り立たない場面」が一気に増えます。

そのとき、最初に感じたのが夫の“指示待ち姿勢”でした。頼めばやるけれど、自分から「これやろうか?」「あれ持ってこようか?」という提案は一切ない。私が明らかに忙しくしていても、ぼーっと立っていたり、スマホゲームをしていたり…。
「周りの状況、見えてる?」と首をかしげたくなる瞬間が何度もありました。
それが、私がASD特性を意識し始めた最初のきっかけです。

ASD夫の育児スタイルに見える特性

夫は「頼まれたこと」はきっちりやります。たとえば「お風呂に入れて」と言えば、お風呂には入れてくれます。

けれど、「私が入れるから、おむつや着替え、タオルを用意しておいて」と頼むと、

「何をしたら準備が完了なのかわからない」「どこに何があるかわからない」と言ってやろうとしません。

保育園時代に毎日書いていた連絡帳も、夫は一度も書いたことがありません(この話は以前の記事で触れました)。小学校に上がってからも、自分の興味のあるプリント――たとえば運動会の案内などには敏感なのに、通常の連絡帳や学校からのお知らせには一切関心を示しません。

夫の関心は「自分の興味のある分野」にだけ向き、それ以外は無関心。
習い事も同じです。「送って」と言えば送りますが、先生からの連絡やプリントはそのまま放置。
病院も、「連れて行って」と言えば行きますが、診察結果や医師の言葉を報告してくることはありません。
「なぜ教えてくれないの?」と聞くと、「聞かれていないから答える必要がない」と返ってくるのです。

子どもの反応と母親の板挟み

そんな父親でも、子どもたちは不思議と愛着を持って接しています。一方で、子どもたちは“親の使い分け”をするようになりました。

学校への報告やお金が絡む話は母親へ。父親に言っても物事が進まないと学習した彼らは、「大事なことは母親に頼む」と決めてしまったようです。

結果、私への負担はどんどん増えました。「そんな小さなことはお父さんに頼んで」と言っても、「お母さんの言う通り、パパに言ってもダメだから」と返される。そう言われると、結局私が動くしかなくなります。

この“板挟み感”こそ、私がカサンドラ状態に陥った原因のひとつでした。

私が試した工夫と気づき

私は朝が早く、以前は家族全員分の朝食を5時台に作り、「起きたら温めて食べてね」という生活を続けていました。

でも、作っても食べてくれない日が増え、「なぜ私ばかり頑張っているのだろう」と虚しくなったんです。

そこで思い切って、朝食づくりをやめてみました。すると、夫が子どもたちの朝ごはんを作るようになり、それが今ではすっかり習慣になりました。

そのとき私は気づいたんです。「私がやりすぎていたんだ」と。
手を抜くことで、家族が自分で動くようになる――それは、私自身の小さな“成功体験”でした。

まとめ:家族は“理解”から少しずつ育つ

以前の私は、「ASDの夫だから、私が全部やらなきゃ」と思い込んでいました。
でも、やらなければやらないで、夫も子どもも困り、その中で自分たちなりに考えて動く力が育つことを知りました。

今では、朝の支度は夫と子どもたちに任せています。もちろん、土日は夫が好きなことばかりして不満が残る日もあります。
けれど、子どもたちが成長し、私自身も一緒に楽しめるようになった今、「夫を当てにしない」という手放しが、家族にちょうどいい距離を生んでいます。

ASDの夫と子どもの関わりに悩む方へ。
すぐに完璧な理解はできなくても、“気づいた日”から、家族は少しずつ変わり始めます。
手放すことも、愛のかたちのひとつです。

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この記事を書いた人

こんにちは。
結婚10年以上経ってから、はじめて夫がASDということを知りました。
同じようなモヤモヤを持っている人に共感していただける体験を綴りたいと思っています。

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