
7月のある暑い日、夫と一緒にテニスをしました。
帰宅後、私は熱中症の症状を発症したところ、夫の反応は・・・。
時間とともに、熱中症の症状がひどくなるけど、、、
日中テニスをして帰宅する途中、
その時は「ちょっと疲れたかな」くらいにしか思っていなかったのです。
でも、家に帰ってから急に、体が重くなりました。
だるさ、めまい、吐き気。
そのうち手足がしびれてきて、意識もだんだん遠のいていくような感覚に襲われました。
私は和室に横たわり、ふすま越しに夫の姿を見ながら、「これは…危ないかも」と思いました。
全く気遣う様子のないASD夫
夫は、すぐ隣の部屋にいました。ふすまは開いたまま。
でも、彼からは何の反応もありません。
私は、朦朧とした意識の中で思いました。
「なぜ、何も言ってくれないの?」
「どうして心配してくれないの?」
呼吸が苦しくて、まともに話せない状況だったけれど、せめて一言、「大丈夫?」「救急車呼ぼうか?」という言葉が欲しかった。
だけど、夫はただPCに向かって作業をし、何も行動しませんでした。
我慢できずに、「救急車を呼んで」とようやくはっきり言葉にしたとたん、彼はすぐに立ち上がり、119番に電話してくれました。
その対応には間違いはなかったし、行動も迅速でした。
それでも、胸に残るのは“最初の無反応”でした。
今思い返せばASDの典型例
うちのASD夫は、ふだんから、
「察して行動する」
「相手の表情や気配から状況を読み取る」ことが苦手です。
今回のように、私の状態がどれだけ深刻なのかを表情や雰囲気から察するのは、彼にとってとても難しいことなのかもしれません。
ASDの方は、「具体的な行動指示がないと動けない」ことがあります。
今思い返せば、保育園の連絡帳も、具体的に、公園でボールころがしをしたことを書いてと言ったら、5時間もかかってなかったかも、と思います。
気遣う言動は、“やらない”のではなく、“わからない”という認知のスタイルの違いということを、本を読んで最近知りました。
「救急車を呼んで」と明確に言えば、迷わず行動します。
でもそれまでは、何が起きているのか、全く無関心だったのです。
救急車呼んで事件を踏まえてカサンドラ妻が思ったこと
私は今回の件でとてもショックを受けました。
「私がこんなに苦しんでいるのに、どうしてわかってくれないの?」という気持ちは、簡単には消えません。
鈍感力世界一の「ASD夫には、そもそも“気づく”という能力が限られているのだ」と、冷静に思い返す自分もいます。
ASDという特性は、時に私にとって“壁”のように感じられることもあります。
けれど、その壁をどう乗り越えていくか、試行錯誤の日々です。
本であれば、お互いに気持ちの伝え方を話し合おうなどとアドバイスしてくれるのでしょうが、そんな話し合う気は毛頭ありません。今までの経験から、ASD夫と話し合いをしても、決裂するのがオチだからです。
今だったら同じ状況が起こった際、まず子どもが気遣ってくれると思っていますし、実際そうなので、ASD夫には頼らないと決めています。
読んでくださった同じような境遇のカサンドラ同志様へ
ASDのパートナーとの生活は、毎日が小さな気づきと学びの連続です。
時に疲れることも、悲しくなることもある。
でもそれは、きっと多くの「カサンドラ妻」たちに共通のリアルな感情だと思います。
同じような体験をされている方がいたら、あなたはひとりではありません。
私も、日々悩みながら、それでも前に進もうとしています。
この記事が、誰かの心にそっと寄り添えることを願って。
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